Crowd Funding(募金)は資本主義や経済優先の社会における希望じゃないかな

来年春、バリ島で行われるヨガ教師トレーニング「SHAKTI INITIATION」の受講費を集めるため、Crowd Funding(募金)キャンペーンを行っていますが、すでにトレーニングには申し込みし、受け入れられました。キャンペーンが終わるまで、受講費の支払いを待ってもらっている状況が今です。


でも、私以外にも同じにSHAKTI INITIATIONに参加する3名が、別のサイト(IndieGoGoなど)を使ってCrowd Funding(募金活動)をしています。

研修をリードする2人のディレクター、Grace JullとJovinna Chanは実際、クラウド・ファンディングを参加者に薦めています。クラウド・ファンディングをすることによって、クリパルヨガ教師に必要な、自分がやりたいことを明確にすること、勇気を持って意思を人へ伝えること、恐れる気持ちや不安と一緒にいること、深い感謝と畏敬の念を持つこと、そういったことを体験できる非常に良い機会になるからです。そして、クラウド・ファンディングをやっている参加者同士がサポートし合えるように提言しています。


 

Jovinnaはクラウド・ファンディングを「現代の奨学金」と言ってます。

 

ある参加者は「思ってもなかった人から募金してもらえて嬉しかったという体験もあったけど、逆に予想外の非難をされて傷ついたりもした」とシェアしてくれました。彼女の夫は「君はバケーションへ行くためのお金を集めてるんじゃない、勉強するためのお金をみんなにお願いしてるんだ。帰って来てからヨガを通してお返しをしたらいい」と勇気づけ、友人は「人に募金をお願いしているからって、山のてっぺんで素っ裸になる必要はない」と元気づけたそうです。みんなキャンペーンを通して何にも代え難い体験をします。

 

でもアメリカという国では、このクラウド・ファンディングの仕組みが、違和感なく受け入れられる背景があります。私はアメリカの高校に通いましたが、募金活動が校内でも一般的だったことに驚きました。

たとえば、バレー部が遠征に行くための資金を、部員がクッキーを焼いて販売することでお金を集める、とか、安くカーネーションを仕入れて、母の日に校内で販売するといった活動をして資金を調達していました。

慈善団体に寄付をしたい、という男子生徒は、「ハーフマラソンに出場します。僕の完走をサポートしてください。」といって、周囲から「完走したら5ドルあげる」といった感じでみんなから約束を取り付けます。ある人からは2ドル、別の人からは15ドル、という感じで、完走後にみんなから集めたお金を慈善団体に寄付する、という活動をしていました。

 

だから、映画やアートや音楽を制作するために一般有志からお金を集め、作品を見たい人に届ける、という形式、クラウド・ファンディングのプラットフォームがアメリカで一般的になったことはあまり不思議ではないんだと思います。お金儲けとは違う、表現したい人と作品を楽しみたい人をつなぐ、正直な需要と供給が成り立っている健全な関係ですね。

アート以外のところでも、パン屋さんがピザを出したいからピザ釜を購入するお金を集めるとき、そのパン屋のピザを食べてみたいお客さんが募金する、という形が成り立ちます。東北復興で、わかめ業者に募金して、その収穫を受け取る、という形も似てます。

 

 

経済を優先して人の心がすり減るような現代社会に、小さなところから「お金がすべてじゃない」という当たり前のことを証明する動きがあるのは、喜ばしいことだと私は感じています。